重いのでスルーしてね

高校生の頃の話


毎日学校に行くのが苦痛で苦痛で
仕方なかった。


今は行かない選択もあるけど


その頃は行かないなんて
許されないと思っていた。



父が亡くなって(自死)
兄と妹はグレて
しょっちゅう母が学校に呼び出されていた。

よく母は半狂乱になりながら
泣きながら学校にあやまりに行っていた。



私が学校に行けなくなったら
母はどんな顔をするだろう。
考えるのも怖かった。



でも実際、

もうその頃には
私の心も正常には機能していなかった。


人に会うのが怖かった。



授業中に当てられ、
音読するのがメチャメチャ怖い。

読む時
どこで息をすれば良いのか分からない。
ドキドキする、心臓が飛び出そうでした。

音読恐怖症と言うものがあるかどうかはわかりませんが、それに苦しめられた。


出席番号で当てられそうな日は
もう逃げ出したくて仕方がなかった。


もう一つ持っていたのが赤面症
赤くなるのが自分で分かるんです。



そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。



ついに
高校3年の時に限界が来ました。


私は泣きながら

母に「私、おかしい❗️もう学校に行けない❗️」


心が苦しくて苦しくて…


「精神科に連れて行って❗️」とお願いしました。



そうしたら

母「そんなキチガイ病院には連れて行けない‼️」
と言われました。




ショックでした。




今でこそ
気軽に心療内科にかかる世の中になってきましたが、

30年程前はまだまだ恥ずかく、
隠せるなら隠しておきたい風潮がありました。



で、仕方なく私は一人でちょっと離れた場所にある
精神科を受診しました。



そこで
今、抱えている心の内を一気に先生に話しました。


話しながら号泣していました。

嗚咽状態です。


ひとしきり泣くと
お医者さんは
「うつ病ですね。」←この辺記憶曖昧

看護師さんに背中をさすられ
お薬をもらって帰りました。



大泣きしたので少しは気分もスッキリしました。
で、
薬を飲みながら何とか高校を卒業しました。



それから長い事
母との葛藤を抱え許せなかったので

あまり実家には近づくことはなく過ごしました。



あれは、しょうがなかったと思えるのは
最近になってからです。


あの頃は
家族みんなが必死で
相手を思いやる心の余裕がなかったのです。



だから、
逆に今のこの小さな幸せを
大切にしていけるのかもしれません。


母も苦労しました。


私が母だったら耐えられません。
母はすごいなぁ〜と思います。



お読み頂きありがとうございました❤️


—–

コメント

タイトルとURLをコピーしました